自分の少年時代の自己イメージ

さて、自分でも自分がどんな少年時代だったか
ってなかなか明確なイメージを示すのは
難しいですね。
とりあえずは、エピソードを
思い出して書いてみようかと
「しゃべらない少年」ということは
お伝えしたと思うのですが
半面、結構、冒険をしてきました。
一つ下の近所の仲間と
「たび」っていうのを
定期的にしていました。
文字通り「たび」なのですが
たいした「旅」ではないのです。
ひたすら「歩く」というだけなのですが
学校から帰ってくると
その仲間の子の家に遊びに行く時期が
続きました。1年くらいかな
その子のうちは
いわゆるお金持ちだったと思います。
庭は小さな学校の校庭くらいある
家もいわゆる古民家風の家ですが
とにかく広い
庭の端に物置があるのですが
それが当時の自分の家より大きい
とにかく「THE金持ち」って
感じでした。
その物置でよく基地ごっこ
をして遊んでいました。
で「たび」は
自宅付近は横浜市神奈川区でしたので
市営バスの36系統が走っていて
「横浜駅」まで確か当時、バスで
1時間ほどの道のりだったと思いますが
そのバス路線に沿って
裏道とか通りながら
できるだけ
横浜駅まで「歩く」
「たび」
だったのです。
それなんか面白いの
って言われそうですが
当時の少年たちには
夕方6時くらいに家に帰るまで
ぎりぎりまで
遊んでいたい
という思いを
どんな形でもいいので
「行動化」していたのでしょう
もうこれは「冒険」なのです!
けっこういろんな道を
発見したり
知らない建物、会社
なんかを見つけると
やたら興奮してました!
次なる遊び=「いたずら」は
「走ってる車に何かする」
でした。
当時よく、排気ガスを
「いい匂い」って嗅いでいたのを
思い出しますが
よくやったのは
「石ころをわからないようにぶつける」
でした。
何度か見つかって
逃げたのを思い出します。
「止まった」
「降りた」
「逃げろー!」
そんな、しょうもない遊びを
繰り返していたかと思えば
野球にはそれなりに夢中になりました。
全くへたくそですよ
でも「長嶋」には
やはり憧れたものです。
まだ実家には
長嶋引退当時の週刊サンケイの
特集号が残っています。
近所の公園で
年齢を問わず子供たちが
集まって
3人対4人とか
超変則的なチーム編成で
草野球を楽しんでおりました。
中心にはいつも自分の兄貴が
いました。
昭和最後の「ガキ大将」って
感じの男でした
年齢も違えば、力も違う
そんな中で
弱いものをそれなりに
尊重して遊ぶみたいなのが
ありましたね 当時は
まあそんな少年時代の
一場面でした。
遊びに「意味」なんてない!

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